« 2011年5月 | トップページ | 2011年12月 »

2011年10月 7日 (金)

スティーブ・ジョブズとオレとビサイド!?

IMG_4202.jpg

今日(正確には昨日)、スティーブ・ジョブズ氏が永眠した。自分の中の気持ちを整理するという意味でも、自分にしか書けないスティーブ・ジョブズの想い出を書いておこうと思う。

自分の世代(1970年生まれ、いま40歳)で理系の人間だったりしたら、小学生〜中学生の頃に 8bitマシンから始まったマイコン、パソコンブームの洗礼を受けていると思う。ゲーム業界を見回しても同じような体験の人は多く見かけることからも間違ってはいないと思うし、ご多分にもれず自分の場合も、この頃にシナプスに深く刻まれた記憶にひきずられてゲーム業界にプログラマとして入り、今に至っている。8bitパソコンネタとか、ゲーム業界では、まさにおっさんホイホイだ。

これがもうすこし上の世代になれば、その頃にすでに大学生だったりして、Apple][を手に入れたりしてその頃からApple製品に触れる事ができた人たちがそこそこいるんだけれど、自分たちの世代の場合、Apple][ 全盛の頃ってまだ、小・中学生だったりするので、いくらスゴイゲーム(WizardryやUltimaなどなど)が遊べるといっても、海外の高くて英語のゲームしかないようなパソコンよりも、国産のゲームなんかがうごくパソコンが興味の中心になっていったのは、まぁ自然な流れだった。でもしかし、実際に自分が初めてゲットした(買ってもらったもらった)パソコンは、 PC-8001mkII といって、PC-8001 と PC-8801 の中間で実に微妙なスペックのパソコンで、ゲームなんか殆ど出なかったりしたんけれど、それも今ではイイ想い出。そんなこんなで、自分とAppleの製品が関係してくるのは、もうすこし先の話になるんだけれど、それとは別に話は続く。

んで、そんな時代。パソコンとかゲームが好きなヤツの愛読書といえば、当時ナンバーワンはなんといってもログイン。他にもいろんなパソコン雑誌が出ていたし、たいていの雑誌は読んでいたんだけれど、面白さ、情報源の広さはログインがぶっちぎりだった。まず変な記事や特集が多い。他の雑誌がたまにしか載せないような海外のパソコンやゲームの情報なんかもまめに掲載されていた。Appleにかぎらず、Amiga とかもね。そんなログインの海外を紹介する記事のひとつで、Appleのステーィブ・ジョブズを知ることになった。正確には、Apple を辞めさせられたスティーブ・ジョブズの事を。

まぁ実際にはコンピューターの歴史とかそういう話は大好きな子供だったので、2人のスティーブがパソコン(Apple][)を作ったなんて話はどこかで聞いていたのだけれど出典までは覚えていない。(すがやみつる先生の漫画は読んだ記憶があるので、その可能性も高い)記事の出所も含めて、スティーブ・ジョブズ個人がちゃんと記憶に刻まれたのは、その時が最初だったと思う。

いま思うと、自分が作った会社を追い出されたとかそういうショッキングなニュースもフックになったのかもしれないけれど、それと同じくらいその事に負けずに NeXT っていう新しいパソコン(ワークステーションかな)をつくっている!これがぶっちぎりにすごい!!っていう記事にやられたんだとおもう。なにしろ NeXT は真っ黒い四角い箱でかっこよかったし、最新の録再生可能な光学DISCドライブも内蔵している点などなど、あまりに個性的で突き抜けていたからだ。ジョブスのビジュアルもおもしろかった。NeXTの黒い箱に乗って、びよーんなんてポーズをしていた。NeXTは頑丈だから乗っても大丈夫!なんてコメントがついていたような記憶がある。(すごくうろおぼえなので、嘘かもしれない。信じないように)

ま、というかんじで、自分の正確な記憶ではAppleをつくったスティーブ・ジョブズというよりも、なんだかAppleを追い出されても、新しい会社NeXTでパソコンを作り続けるジョブズ、すげー!ってかんじでバイタリティとそのヤル気に感動した訳なのだった。

そして、この話にはもうすこし続きがあって、1990年に東京の大学(電通大)に合格して佐賀から上京することになった際に両親の希望で佐賀県の「県人寮」(地方の県にはこういう施設があるんですよ)に入れと言われて面接を受けることになった。なんと佐賀県の県人寮はちょうどその年にオンボロの寮を改築し、新築でピカピカの寮に変わっていたおかげで希望者が多く、面接で選考が行われることになっていたんですね。武蔵小金井の南口を出て、坂を下り建築中っぽい場所に面接に行ったのを今でも覚えている。きっと今でもあるんだろうな。んで、その面接で聞かれた項目に「君が尊敬する人を話しなさい」みたいなお題があった。一緒に面接受けてた奴らは「両親です」とか「恩師です」みたいな、じつに当り障りのないようなことばっかり言っていたので(失礼)、ここはちょっと飛ばしていくぜ!とおもい、なにをおもったか自分は「スティーブ・ジョブズです!」とぶちかましたのだった。(よくよく思い出すと作文提出だったかもしれない)もちろん、当時、スティーブ・ジョブズなんて知っている人はほとんどいないのはわかっていたので、Appleを作ったこと、Apple][というパソコンのコト、そしてAppleを追い出されたけれど、NeXTって会社をつくって負けずに頑張っているってことをとうとうと語ったりしたのだった。うーん、冷静に考えると、わりと痛い高校生だな。まぁ、その甲斐があったのかどうかは分からないけれど、無事に?県人寮は面接落ちになってしまい、大学近くの普通のアパートに入ることになった。

両親には県人寮にはいるよりも、ずいぶん多くお金がかかることになったので申し訳なく思ったけれど、そのおかげで、自由にアパートからパソコン通信をやることができてパソコン仲間がひろがったり、大学のサークル仲間とアパートでたむろしてゲーム作ったりすることができた。じつは、そのころのパソコン通信で知り合った仲間だったり、大学で一緒にゲーム作ったりした連中と40歳になったいまでもビサイドでゲーム作っていることを考えると、あそこでスティーブ・ジョブズの話を語らず、適当に受けがよさそうな尊敬する人物をあげ、もし県人寮の面接に合格していたならば今の自分がなかった、ひいてはビサイドもなかった!?かもと思うと、スティーブ・ジョブズは自分の人生の分岐点で、スゴイキーワードと言うかキーパーソンだったのかもしれないと思うわけなのだった。マジで。

いやー、人生って面白い。

ずいぶんと長く書いてきたけれど、ようやく最後でタイトルの理由が説明できてよかった。ところで、今だから言えるけれど、ウチの会社名のビサイド、英語表記だと BeXide って書くんですが、NeXT の影響なんですよ ;-)

最後になったけれど、スティーブ・ジョブズさん、ほんとうにありがとう!

<補足>このブロのグのトップの写真は尊敬する写真家の塩澤先生の写真を使わせてもらいました。いつみても最高です!

| | トラックバック (0)

« 2011年5月 | トップページ | 2011年12月 »